「会いたいならそっちから来ればいいじゃん」
何しろ詩織が絡めばいつものことなのだから、少年の窮状には何らの興味を示さずに言う依緒奈の声は、少し不機嫌だった。
「今はこれで許してあ・げ・る。んふっ♪」
「ふああ!」
詩織に解放されてどうにか立ち上がったリュートマだったが、彼女に後ろから耳たぶに息を吹きかけられると関節の力が抜けて再び崩れそうになり、声にならない叫びを上げた。
「可愛い♪」
「や、やめて下さい...!」
彼はどうにか気を落ち着けると言った。
「アイホックは、あなた達と友達になりたいと言っていて、歓迎したいとのことです、だから来てくれませんか」
「そういうこと」
依緒奈が笑みを取り戻した。
「じゃあ案内してくれるのね」
ファイが少し首を傾けてリュートマを見遣る。
六人の中でもとりわけて可憐な少女と視線が合ってしまい、どきりとするリュートマ。
「は、はい、少し歩きます、こちらへ、どうぞ」
ぎこちなく歩く彼について、6人の少女はアイホックの屋敷へと向かった。
トメニアの中心からかなり外れたところにあるそこはまばらな林の中だった。緑の間に、大小いくつかのマッシュルームのようなコンクリートの塊が地面から生えているのだ。
これは、かつて独裁者を打倒した戦いの際に用いられた要塞の一部を勝利を記念して保存し、皇帝の住居として使っているというものだ。独裁者から奪った資産はトメニア復興に投じてもまだかなり残ったが、初代皇帝は自らの邸宅すら造らずにトメニアの人々のためにと蓄え、自らが戦いで用いた要塞を住居としたのだ。
「ようこそ、わざわざお呼びだてして申し訳ない、私がアイホックだ。よろしく」
ひときわ大きく、直径100メートルばかりあるマッシュルームの中から明朗な声と共にアイホックが現れた。6人の美少女達の姿を目の当たりにしては、彼とても彼女達の倍以上の齢を重ねてはいても緊張から免れられなかったが、それでも理性的な態度を崩さない。
「歓迎会の用意ができている。君達の希望も聞かずに用意してしまったが私から君達への気持ちと思って受け入れてくれれば嬉しいよ」
「初めまして。ありがとう」
微笑むファイ。さらりとした淡い色の髪が少し揺れ、歩み寄るアイホックの身を固くした。
「かっこいいこと言ってたね」
アイホックの前にまわった依緒奈が言った。
「い、いや、人間として、当然のことだよ」
くるんとした瞳の輝きが彼を射すくめ、アイホックは逃れるように言葉を続ける。
「ここは、政治屋共の手が及ばない私の屋敷でね。このリュートマやその他に、確か今..何人いたかな、」
「64人です」
「そう、私と64人の食客と、使用人達だけの城というわけさ。私としては、ここにとどまって食客に加わってくれればいいんだが、それはこれからの話だ」
そう言ってアイホックが巨大なマッシュルームの中へと一行を導いた。
そこには、高く、外壁同様に白い天井を持つ大広間が広がり、外からの光で仄白く照らされていた。
幾つものテーブルには既に色とりどりの料理が山と並べられ、63人の食客が既に集まって、主と賓客の登場を待ちながら談笑している。いずれも一癖も二癖もありそうな者ばかりだ。
互いにそっくりな2人の若い山伏がいる。双子らしい。二十歳近い年齢で、いでたちのためか今ひとつ垢抜けないが実際は相当な美形だ。この二人で一つの擦弦楽器の黒いケースを持っている。コントラバス、いや、この大きさはオクトバスだ。
痩せた長身の男がいる。背も高いが、それ以上に腕が、それも前腕が長い。膝の下まで指先が届くだろう。
福禄寿のように長い頭を持った巨漢がいる。頭の先端には金棒のように棘がいくつか突き出ている。頭が武器のようだ。
四本の腕、十本の足を持つ男がいる。目は額にもある。三つ目、いや後ろにも同じように三つの目があって六つ目だ。
全身が銀色の鏡のような女性がいる。服で覆われていない素肌や髪、そして瞳が全て、水銀のように輝いていた。
ぼんやりとした黒い影のような者がいる。シルエットからすると女性と見えるが、体の形そのものがはっきりしないのだ。頭に当たる部分の中心に一つ、白い光が見えた。
目も鼻も口もない男がいる。代わりに頭から上へと二股の妙な角を一本生やし、顔にはただ一つ、大きい渦巻きが描いてある。
顔がどうのという以前に、首から上全体が提灯になっている者もいる。

その風変わりな人間とも何ともつかない者達の集う中へ、アイホックが姿を見せた。
「やあ諸君!待たせて済まない」
一斉に歓声や拍手で迎える食客達。
「では早速、勤皇隊を蹴散らした英雄達を紹介しようじゃないか」
そう言って彼は六人の少女を招き入れた。
彼女達が入ってくると、その「英雄」が幼さを残す少女達と解ってどよめきが起こった。そのあどけない姿を正視できずに視線を逸らす男達も多い。
「だんな、その娘達がほんとに勤皇隊をやっつけたんですかい?」
長身で腕の長い男が言った。
「そうだとも。私もこの目で見ていなければ信じなかっただろうね」
アイホックは嬉しさを隠さない。
彼が話している間にも、メイが波に漂うクラゲのようにテーブルの料理へと吸い寄せられていた。
「メイ、ちょっと!」
なすびが呼んだが手遅れで、メイは近くのテーブルにとびつくと肉料理の皿を抱えて傾け、一気に平らげてしまった。
「おい!だんなの前だぞ」
「少しは慎め」
食客達が騒ぎ出す。
「ははははは、まさに天衣無縫だな。諸君もやってくれたまえ」
アイホックが笑った。
「御前は彼女達を仲間になさるおつもりか?」
双子の山伏の片方だ。前髪の右側が片目が隠れるほど長い。もう一人は左が隠れている。グラスや皿を持っている手も逆だから利き腕も違うのだろう。
「いや、それはまだ解らない。彼女達次第さ。私は仲間になって欲しいとは思っているがね」
そして食客達もメイに負けまいと料理を貪り、酒を飲み始めた。アイホックは気づかなかったが、自分たちに対して以上にこの賓客に対して親しそうに振る舞う彼に、皆どこか不満げだった。
そんなことに気づくはずもない少女達はそれぞれ散っていき、それぞれのペースで飲み食いを始めた。
ファイは少しばかりの酒をグラスに注ぐとテーブルを廻って野菜と魚介類を少しばかり皿に乗せている。依緒奈は目に付いたものを手当たり次第だ。珍しいのか、殻付きの平べったい蟹をフォークでつついて遊んでいる。気後れしているなすびは人の少ないテーブルを選んで廻っていた。三人とも少女だけに割合小食だ。
そして詩織はとってきた酒を瓶ごと呷るとリュートマの口へとつっこみ、暴れる彼を押し倒すや彼に抱きついたままで床を転がり、テーブルの下へと姿を消した。
「やめて、やめて下さいって!誰かに見られたら」
「だからいいんじゃない」
「そんな、ひいい」
テーブルクロスの端からのぞく四本の脚が絡み合う。
その頃、酒ばかりが置いてあるテーブルには魅紅がいた。そして幾人かの食客が、彼女以上の酒豪ぶりを示そうと並んで飲んでいた。テーブルに置かれたワインクーラーに刺さった瓶は見る間に飲み干され、傍らの樽までもが次々に空になってゆく。
「酒の飲み方というものを教えてやろう!」
極東群島の剣技の胴着をつけ、烏帽子をかぶった毛深い中年男がそう言って魅紅の前でこれ見よがしにワインを樽ごと抱えて呷った。「鉄の肝臓」を持つという酒豪だ。魅紅は彼には目もくれず、樽からビールのジョッキにワインを注いでは見る間に空にし、また注いでは飲み干していった。
メイは彼女の鼻を明かそうとする何人かと共に、次々にテーブルをまわって料理を平らげていた。ステーキ、鰹のたたき、ローストチキン、五目焼きそば、七面鳥の丸焼き、豚の丸焼き、牛の丸焼きが次々に消えてゆく。
飲むこと、食べることを特技としていない他の食客達も、この新参の小娘達がどこまで健闘するかを注視していた。
「私の食客と張り合うとは大したものだ」
魅紅とメイに目をやって愉快そうに手を叩くアイホック。
二人は周囲でそのような争いになっていることなどつゆ知らず、それぞれの道を歩み続けていた。
「ほういやあいほっふ」
アイホックと同じテーブルで飲み食いしている依緒奈がクラッカーをぼそぼそとほおばったまま彼の肘をつつく。
「無礼な...」
「礼儀をわきまえぬ奴」
近くの食客が呟いたが、誰の耳にも入らなかった。
「何だね?」
アイホックは一瞬、これまでに経験したことのない妙な感情を覚えたが、それが何かは解らず、気にもとめなかった。
「こいつらってさ、要するに君んちの居候みたいなものなわけ?」
「あなたの友達っていうことかしら?」
隣にいたファイも淡い色のパスタをフォークでからめ取りながら尋ねた。
「まあそういう感じだな。私の私有財産で養って、敷地内に住まいを与えている。少し違う意味があるとすれば、私のある目的に賛同してくれた同志でもある、という点かな」
彼が言うには、彼ら食客は、改革のための同志なのだ。今のトメニアにおいて単なる飾りに過ぎない皇帝は、政治的な力を持っていない。選挙で投票することもできず、人々に訴えるのが関の山だ。しかし為政者は皇帝におもね、ともすればかつての独裁者のように、神が人の姿となって降臨した存在と位置づけようとまでする。そして、これまでの皇帝と彼自身の努力によって、歴代皇帝の中で最も小さい権限しか持たなくなったアイホックは、彼らの存在に最も手を焼くことになってしまったのだ。そこで、彼は私財を投じ、彼の思想に同調する者を募り、改革の妨げを阻む力としたのだ。この屋敷から皇宮警察を追い出し、一私人の住居同様に、公権力が無断で立ち入ることを禁じたのは、彼ら食客の持つ、トメニアの軍事力に比肩するほどの力による最初の成果だ。アイホックにとって、彼らは帝政廃止の妨げになるものを排除するための切り札なのだ。
そして今、アイホックにはさらにもう一つの企てがあった。
「君はとても身軽だったともうが、走るのは得意かね?」
アイホックが身を屈めて依緒奈に寄り添った。
「あたし?んふふふ、自慢じゃないけど速いよ。どうして?」
依緒奈も得意満面だ。
「それなんだよ。ちょっと待ってくれたまえな。マッハウェンディ!デカノビル!来てくれるかね!」
アイホックが大声で呼ぶと、他の食客をかき分けて2人が姿を見せる。
一人は気の強そうな十代半ばくらいの少女−マッハウェンディだ。黒い髪は少年のように短く、凛とした顔立ちだ。二、三年後の依緒奈はおそらくこんな感じだろうと思わせる、すらりとした姿が美しい。
もう一人のデカノビルという男はひどく背の高い、痩せた20歳を過ぎたくらいの男だ。平均台に手足をつけたような体型で、細長い顔に四角い銀縁の眼鏡をかけた姿は見るからにひ弱そうに見える。ひどいがに股の脚は長く、それ以上に胴が長い。
「この2人が秘密兵器さ」
自慢げなアイホック。2人も秘密兵器と言われてまんざらでもないようだ。
「何?マラソンでもするの?」
依緒奈が言った。
「そんなところだ。まあ、マラソンより少々厳しいようだな」
そう言って彼が話したのが、年に一度、トメニアで古くから行われている徒競走のことだった。トメニアの人々の大半が観戦するこの競技が、独裁者から初代皇帝が取り戻したトメニアの財産の一つであり、今も皇帝の主催となっている。
これは、トメニアの中心街の一角を占める陸上競技場を一本の小さな瓶を持って出発し、トメニアの市街を出てなだらかだが道もなく延々と続く丘陵地を越え、南東およそ85キロの場所にある湖の水を瓶に汲んで、再び競技場へと戻るまでの速さを競うというものだ。水を汲むのは、途中の地点や上空からのテレビやラジオでの中継がない時代、折り返し点の湖へ行ったことを示した名残だ。明確なコースは決まっていないが、丘は殆ど草地ばかりであり、どこを走っても労力に大差はないので誰もが自然と直線を走っていた。つまり往復約170キロの道のりだ。毎回100名程度の参加者がいるが、さすがに完走する者は10名前後、速い者でも7時間ほどはかかる相当厳しい競技である。
3位までに入った者にはメダルと賞金が与えられるのだが、1位の者だけは違っていた。皇帝主催の食事会に招かれ、また皇帝の私有財産を一人で持てるだけ与えられるのだ。これは特に優勝者本人でなくても、例えば家族や親類、友人が持っても、ただ一人が持ち上げて宝物庫から運び出せさえすればよいのである。量的には知れているが、それでも2位、3位の者に与えられる賞金の額の倍にはなった。
トメニア復興のために一度は殆ど底を突いた皇帝の財産も、復興から発展に移行して久しい現在では相当な寄付によって、独裁者が人々から吸い上げていた時期の質と量を取り戻していた。これらの副賞は最後の世界戦争以前からの伝統だが、かつて独裁者が自らの権威付けのために用いたのと異なり、皇帝は人々との距離を近いものにし、財産を市民に還元できる手段の一つとして位置づけられ、今も続いているのだ。
この今ひとつ垢抜けないものの大々的なイベントが、トメニアの人々の耳目を最も集める競技だった。
ただここ数年、トメニアの警察や軍関係者が多く上位を占めるようになっていた。元々は、自らの体力がどの程度かを知る目的で希望者が参加していたのだが、ここ2,3年は宰相達の意向で、組織をあげて上位を狙うようになっていたのだ。上位入賞者のインタビューにおいても、彼らは皇帝への忠誠心が好成績をもたらしたのだと本心から答えていた。
そして、去年はメダルを筋金入りの君主制支持者の機動隊員と陸軍将校に独占されてしまい、アイホックとしては面白いわけがなかった。
「彼らは私に勝利を捧げるなどと言っていた。インタビューを聞いて背筋が寒くなる思いだったよ。だが、それも今年の結果を盛り上げるための演出になるのさ」
ファイは、大げさな身振りで無邪気に話をしているアイホックを、興味深そうに眺めている。その眼差しは何かを確かめようとしているようにも思えた。
「そこでどうだろう、君もこの二人と共に出場してみないか。今回の勝利で、皇帝への忠誠心が何の役にも立たないことを、人間の平等を奴らに示してみないかね?」
アイホックが依緒奈に語りかける。
「だんな、僕たちが信用できないんですか?」
デカノビルは不満そうだった。
「おいおい、勘違いしないでくれ、メダルは三つあるのに早駆け自慢は今のところ二人しかいないんだ、他に早い者が出なければ、メダルの一つを君主制に尻尾を振る犬の一匹に取られてしまう」
「なるほど、理屈だ」
大食いや大酒のみが数人ずついる割に足の速い者が2人しかいないのは随分心許ない話ながら事実には違いないため彼はそうは言ったが、仲間に入るとも言っていない依緒奈を自分たちと同列に扱うことに納得できないようだった。
「どこの馬の骨とも解らない奴になんで肩入れすんのよ」
マッハウェンディもそう思っていた。
全ては、この圏外から突然現れた少女達が自分達に対して、そしてそれ以上にアイホックに対して何ら譲る態度を見せないからであり、他の食客達も同じ理由で同様の不機嫌さを抱いていた。
「でもさあ、あたし出るかどうか解んないよ」
あっけらかんとした様子で言う依緒奈。
「まだ出る理由がないからね」
「おい失礼だぞわざわざここに呼んでもらって」
デカノビルがなじる。
「来て欲しいつったから来たんだよ。まさか見返りが欲しくて呼んだわけじゃないでしょ?」
きょとんとして依緒奈が返し、アイホックを見る。
「なにおー!」
デカノビルが依緒奈につかみかかろうとし、マッハウェンディが取り押さえた。
「はははは、その血気を本番で爆発させてくれたまえ」
アイホックが笑い、依緒奈に向き直って言う。
「まあよく考えてくれ。出場受付はあさっての大会当日までやってるからね」
「あ〜あ...。いつもと変わってないよ..」
一行の中で魅紅とメイに唯一関心を払っていたなすびが嘆き、程なく彼女の心配が的中した。
ただ飲むことに専念している魅紅のライバル達に対して、舌の上を転がして明らかに味わいながら飲んでいる魅紅だが、それでも圧倒的なのだ。ライバル達の飲酒量の合計が、魅紅のそれに見る見る引き離されていた。しかも彼らの体型がいずれも樽のような姿に変貌していくにも関わらず、魅紅の華奢なシルエットは変わらない。
「ははははは爆発する、爆発する〜!」
そんな声と共に程なく一人が倒れると、後は早かった。土気色になった食客達がばたばたと倒れ出す。
「アイアンレバー....よくやってくれた....!」
観衆がざわつく中、魅紅と最後まで争っていた胴着男が遠い目をして呟き、空になった酒樽の山に倒れ込んだ頃、メイと大食い自慢達との勝負にも終止符が打たれた。腹を膨張させて白目をむき、脂汗まみれの者達が幾人も横たわる異様な光景の中で、禿頭短躯の老僧と美貌の巫女の二人が敗れ去り、決着が付いた。
「化け物っ...!!」
食客達は畏怖と憎悪の混じった視線を向けていた。その間でなすびが傷つき倒れた者達が担架で運ばれる様を心配そうに見ている。
そして魅紅もメイもそんなことは意に介さず、一方は飲み続け、またもう一方は食べ続けるだけだった。
その時テーブルの一つがごとんと動いた。はっと起きあがったリュートマが頭をぶつけたのだ。テーブルクロスの下から額を抑えながら顔を出したリュートマは、自分が全裸だと気づいて頬を赤らめ、慌てて引っ込むと服を着た。
その頃、詩織は別のテーブルに引きずり込んだ双子の山伏に快楽の絶頂を与えていた。
「やっぱりも少し若い方がいいわぁ」
詩織はしゃぶられただけで我慢しきれなくなってしまった二人からほとばしり出た白濁でぬるつく顔をハンカチで拭き取りながら、再びリュートマを探し出して襲いかかる。
「ふ..不覚っ!」
「修行が足りぬ!」
後には足腰が立たなくなって下半身裸で座り込んだまま悔しがる二人が残されていた。
「何だか楽しそうね」
会場を見回してファイが微笑んだ。
「ちょっと違うんじゃないかな」
さすがになすびは自分たちがよく思われていないらしいと気づき始めていた。
その頃リュートマは、詩織に再度襲われた末、テーブルクロスの下から上半身だけ出したまま放心していた。
「さっきより元気なかったじゃない。若いんだからもう少し頑張んなきゃだ・め・よ♪」
詩織は仰向けに倒れているリュートマの額を人差し指でつつくと、魅紅の隣へ行ってシャンパンを呷った。
「君の仲間は凄いな」
魅紅とメイ、そして詩織の壮挙を目の当たりにしてアイホックが舌を巻く。
「普通だよ」
なすびは固まっていたが、依緒奈は涼しい顔だ。
「ねえアイホック」
ファイが口を開いた。
「何だね?」
「今夜、私たちの所に来ない?」
ファイが澄んだ瞳を向ける。
「だっ、駄目ですよ」
服を整えながらリュートマがどうにか言葉を発した。
「あら可愛い」
彼の方を向いたファイが嬉しそうな声を上げた。
「あはは純情〜!」
依緒奈などは指を指して笑っている。なすびは悲鳴と共に両手で顔を覆いながら、指の間から凝視していた。
リュートマはズボンのファスナーが開きっぱなしでしまい忘れているとやっと気づき、耳まで真っ赤にして大慌てで中へ入れながら続けた。
「外へ出たら、役人の目があります、どこで見られてるか」
何しろ役人達にとって、皇帝は絶対不可侵の存在なのだ。彼らに無断での外出は許されない。
「確かに今もめるのは時期ではない...」
暫く考えていたアイホックは結論を出した。
「私と、リュートマだけで行こう」
そして小声で、
「知れると扱いに差があると思われるだろうからね、他の食客には秘密だ」
彼は、太鼓の上で飛び跳ねても音がしないといわれるほどに身軽で、隠密行動に長けている点では食客随一のリュートマを伴って秘密裏に抜け出すと決めた。これまでにも幾度か経験があり、いずれも成功していたからだ。
「じゃあ待ってるわ」
「でもファイ、場所はどこにすんのさ」
依緒奈が疑問を差し挟む。何しろ彼女達はこの日トメニアに着いたばかりで、どこで夜を迎えるか決まっていないのだ。
「あのさ、来る途中に野原通ってきたじゃない、大きいねじれた木が生えてる。あそこなら解りやすくていいんじゃないかな」
なすびがそう提案した。
「ああ、東のはずれのあの木か、それならすぐに解る、しかし野宿かね?」
「来れば解るわ。今夜8時でどう?」
そう言って、ファイはアイホックの手を取った。
「あ、ああ承知した」
彼女の手の柔らかさとぬくもりでアイホックの頭が熱くなってしまっている頃、話は聞こえていないもののファイとアイホックの握手を見ている食客達は、彼女の馴れ馴れしさに一様に憤りを感じていた。彼らとしても、皇帝を雲の上の存在と扱うことは許せないにしても、階段の一段くらい上くらいに考えるのが関の山なのだ。同等だという立場をとるにはまだ早かったのである。
やがて空を星が覆う頃、アイホックは約束通りリュートマの手引きで他の食客や使用人にも知られず屋敷を抜け出した。赤外線を用いたセンサーや、監視用カメラの死角をかいくぐって敷地の外へ出るのは、リュートマの指示に従っていれば誰にも容易いことだった。
そしてその頃、トメニアの外れにある野原に突き出したねじれた木の近くには、見慣れない巨大な白い物体があった。金属ともプラスチックともつかない軽く強固な材質で造られたそれは、上端がやや尖った丸い形で、幾つもの窓には明かりがともっている。これが6人の少女達の家なのだ。中には6人が独立して生活できる設備と空間、全員が集まれる部屋、そして尖った上端を屋根とする屋上がある、持ち運べる住居だ。これは魅紅が設計し、造ったもので、日頃は魅紅の技術によりカプセルに入れられ、縮小されて荷物の一つとなっている。縮小の原理は、物質から空間を取り除くというものだ。この方法で飛行船などの大きいものも縮小でき、出番が来ると空間を注入してもとの大きさに戻すのだ。但し重さは変わらないので、なすびにしか持ち運ぶことはできない。
彼女達はこの「家」の前に照明、椅子やコンロ、キッチンや酒樽を持ち出し、食事の用意を始めていた。ドア一枚ほどの大きい金網が10数本束ねたノズルを上へと突き出したコンロの上に据え付けられている。用意といっても、依緒奈が無造作に何となく必要そうな食器や食材を旅行鞄から運び出しては並べ、なすびがそれを必要に応じて配置し、下ごしらえしているだけで、他の者は自室や屋上にいて何もしていないのだが、それはいつものことだ。
そしてやがてアイホックとリュートマが現れた。
「なんとこれは...」
以前からそこにあったように彼女達の住居が建っているのを見て、ぽかんと眺めるアイホック達。
まな板まで切らないようにと加減しながら野菜を刻んでいたなすびが気づいて出迎えた。
「いらっしゃい」
他の5人も集まって来る。
「あ、ああ、いや、今晩は」
アイホックは少々狼狽え気味だ。それは、昼間彼女達に対して抱いた違和感は、今自分が不当な扱いを受けているような感情となってきているがゆえだった。外れとはいえトメニアの一角に、自分の知らない間にこのようなものができているということに対して、自分の敷地を勝手に使われたような感覚にとらわれてしまい、どうしてもそれをぬぐい去ることができないのだ。しかし依緒奈に手を引っ張られると、その壊れてしまいそうな程の彼女の指の華奢さが彼のそんな感情を麻痺させてしまった。
アイホックからすっかり余裕が消えてしまっていることには誰も気づかないまま、依緒奈が大きい皿に乗った肉や野菜や海産物を網の上へとぶちまけ、香ばしい煙が上がる中、再び宴が始まる。
「それじゃあ乾杯」
ファイがグラスを掲げた。
「でも、何に?」
ふとなすびが漏らす。
「理由っているかなあ」
と言うのは依緒奈だ。
答えてファイ、
「それじゃあ、私たち8人に乾杯!」
「いいね、それ」
依緒奈が微笑み、そして8つのグラスが星空にかちりと鳴った。
無造作に切って焼いただけの代物だが、二人のトメニア人に舌鼓を打たせるには充分だった。それらの食材は彼女達が行く先々で手に入れたものだ。トメニアでは手に入りにくいもの、海産物のように海のないトメニアでは鮮度が落ちるものでも、彼女達にとっては何でもなく手に入り、いつでも食べられる。
「私もそのうち極東に行くぞ!」
極東にしかいない、靴か蝉のような太い寸胴の海老をかじりながら、アイホックが声を張り上げた。
長期間の保存を実現した魅紅の手になる技術よりも、彼女達が世界のどこへ行くのも自由なのだということが、アイホックを劣等感で打ちのめし、酒を呷らせた。
「だ、駄目ですよっ!」
慌てて声をかけるリュートマ。
何しろアイホックは昼間も飲んでいる上に、今度は一気に飲もうとしているのだからどうなるか解ったものではない。しかしアイホックは彼の声に耳を貸さず、ぐっと飲み干してしまった。
「そんなに一気に飲んじゃ、うああっ!!」
突然リュートマは後ろから詩織に羽交い締めにされ、抵抗する間もないまま引きずられていった。
「いただきます♪」
舌なめずりしつつ詩織がリュートマを押し倒す。
その頃魅紅は他の誰に比べてもわずかな量の食事を済ませ、酒樽の傍らでひたすら飲み続けていた。
「圏外の平民にトメニアの皇帝が後れをとるものか!」
口の端から酒を流しながらアイホックの大声が響く。
依緒奈が声を立てて笑う。彼女達にとっては最高のジョークだった。
しかし、アイホックにとっては、皇帝の名で屋敷に縛り付けられてなどいない彼女達に対して抱いた悔しさそのものだ。
「外になんか出させないわよ」
「ひぃいいいいいい〜っ!!!」
暗がりの中で二つの体が絡み合っていたことはさておき、その頃アイホックはへべれけになっていた。
「どうだ!これがトメニア流舞踏術ミルガイの舞いというものだ!!」
既に食べ終えて大の字になって眠っているメイを除いて、まだ網を囲んでいる3人を前に、完全にできあがった彼は、腰をくねらせて全裸で踊っているのだ。
依緒奈が大喜びで手を叩く。なすびは真っ赤になって固まったままで、ファイは珍しい生き物でも見るように、往復運動を凝視していた。
「あああ嘆かわしい....」
アイホックのあられもない姿をかいま見たリュートマは、その言葉を最後に詩織の餌食になり、意識を失ってしまった。
「アイホック、聞いてる?アイホック!」
依緒奈が裸男と一緒にリズムを取りながら呼びかけた。
「何だね!」
「あたし、例の徒競走、出てもいいよ」
「そうか!楽しみにしているぞ!!わははははははははは!!」
そして明け方近く、意識を取り戻したリュートマはアイホックにとりあえず服を着せ、挨拶もそこそこに少女達と別れるとよろめきながら屋敷へと向かっていた。本人は足腰に力が戻らず、その上酔いつぶれたアイホックを背負っているのだからかなり心許ない。
それでもどうにかアイホックの部屋まで帰り着き、前後不覚の皇帝もろともベッドに倒れ込むと間もなく、アイホックは意識を取り戻した。
「ここは...どこだ?」
「ご主人様の部屋ですよ」
「いつの間に、帰ってきたのだ...?夢か...?いや、彼女達と飲み始めて...飲み始めて....それからどうなっていたんだろう...?」
「覚えてないんですか!?」
しかし酔っぱらいというものは、本人の表面上での記憶に反して、酔っている間の体験の殆どを実際には覚えていて、多少の努力で思い出せる。彼の場合もそうだった。
「私は...私は、何ということを....!!あのようなはしたない...!!」
「ご主人様...」
「彼女達が悪いのだ!!この、私に、恥をかかせるとは!!」
「あの、...ご主人様は何を怒ってるんですか?」
アイホックの予想外の激昂に、おそるおそる尋ねるリュートマ。
「決まっているだろう彼女達の私に対する態度に対してだ!」
「えっ!?」
「私が飲みたいだけ飲ませ、何の気遣いもしなかった!」
「はい..まさしく平等の体現ですね」
「それが問題だというんだよ、君だって、他の食客だって、私を名前で呼ぶようなことはない、あのあどけない姿に惑わされていたが、全く無礼きわまる行為だ!」
「まだ酔ってるんですか...?」
アイホックはとまどうばかりのリュートマを殴りつけてわめく。
「私は素面だ!!トメニアの皇帝だぞ、そりゃあ確かに私は平等を実現しようと、皇帝が神の化身か何かのように扱われる社会を終わらせようと努力してきたさ!だがあれは....言うなれば社交辞令というか......、まさか本当にその通りに扱う奴があるか!!閣僚連中は今まで私を神のように扱ってきた、それはやりすぎだとは思うが、しかし今度のような扱いに比べれば勝ること幾億倍だ!!今までの私は考え違いをしていたのだ!!」
「ご主人様!それじゃ今までの努力も」
「これまでの私と、先代までの過ちを私が正すのだ!12代かかってここまで築いて来たものを、私が壊してやる!!」
「放して下さいっ!苦しい、苦し..」」
リュートマは首を絞められ、青くなっていた。
そして翌日は徒競走の日だ。晴れ渡る午前の青空の下、スタートとゴールを兼ねる、街の中心から僅かに外れたところにある円形の陸上競技場には大勢の人々がぎっしりと詰めかけて歓声を上げ、観客の間を飲み物やポップコーンの売り子が行き来する。
アイホックはこの大会のために作りつけられた防弾ガラス張りの観覧席で、両側に閣僚達を従え、腰を下ろしてトラックを見つめていた。
「81番、ギング区在住、ガング選手!」
「82番、オイル区、オックス選手!」
会場では出場者の名が紹介され、その度に一人一人が観客席の歓声に答えていた。
「83番、治安部隊、ウーシン選手!」
「84番、機動隊、巴(ともえ)選手!」
まとめて出場を申し込んでいるだけに、途中からは警官、軍人が続く。
「87番、陸軍自走砲連隊、メイリイ選手!」
「88番、海軍参謀本部、ヤムゲル選手!」
「今回は勝てそうかね?」
アイホックが閣僚に訊いた。
「もちろんです!陛下のために練習を続けてきた強者揃いですから!!」
副宰相センデンが断言する。
「期待しているよ」
「は!」
意外な答えだった。
「陛下はどうされたのだ...?」
「さあ..?」
囁くセンデンに、マリアナも不思議がった。
去年、センデンは同様の質問を受けている。同じように答えたのだが、その時アイホックは忠誠心は勝利に貢献しないと吐き捨てるように言い、民間の誰かが勝つことを望んでいると言ったのだから。
「104番、中央区マッハウェンディ選手!105番、同じく中央区、デカノビル選手!」

「任せといて下さい、僕もう頑張っちゃうんだもんねほんとにもう!」
トラックではマッハウェンディとデカノビルが俄然張り切っていた。
「一昨日はあんなことを言ったが、私は君達にこそ期待しているのだ、依緒奈とかいうよそ者の馬の骨に、私への忠誠心の証を思い知らせてやってくれたまえ」
今朝方アイホックにそう言われていたのだ。
「そして最後106番は、圏外からの飛び入りです、依緒奈選手!」
観客席の5人に、他の大勢の観客達に、そして観覧席のアイホックに手を振る依緒奈。
ツーピースの、水着に近いデザインのランニングウェアを着た、殆ど露わな肢体が眩しい。

「ふっ、可愛いだけで優勝が掴めるものか」
トラックの依緒奈を見つめて応えるアイホックの笑みの真意は、今やそんなものだった。
「こいつね、今回は引導渡してやるわ」
そんな思いで依緒奈を見つめているのは、きりりとした美しい顔立ち、肩に届かない短い髪の若い女性だ。剥き出しの腕や脚は引き締まり見るからに活発そうだ。巴とかいう治安部隊所属の出場者だった。
「...それでは皆さん、悔いの残らないよう、頑張って下さい!」
アイホックの主催者としての型どおりの挨拶が型どおり終わる。
さすがに二日前に平等の思想をぶちあげた彼としては急な転向を表明するわけにもいかず、どうにでも取れる表現になっている。しかしこれは彼にとって、死にかけた君主制を甦らせるための戦いの始まりだった。
間もなく出場者全員がスタートに集まり、観衆が水を打ったように静まり返って見守る中、青空にスタートを告げる号砲が鳴り響いた。
−続く−