これは、現在から遠く隔たった時代の物語である。余りに遠い時代のことなので、今となっては過去なのか未来なのかは解らない。
彼女達6人が目的を定めない漂泊の途中辿り着いたのは、トメニアと呼ばれる地域だった。
「あたし達の行くとこって変なとこ多くない?」
先頭を歩いていた依緒奈がぼやいた。
「そりゃあ、少しは変かも知れないけど...」

少し後ろに続くなすびがとりあえず何か言おうとするのだが、彼女にとっても、依緒奈にとってはもっと変なのだから言葉になるわけもなく、依緒奈を納得させることなどできるわけはないのだ。
トメニア。この東アジアの三マイル四方程度を占める一地域を、人類が定住する他の地域と異ならしめている点、それは皇帝がいるということだ。
他にも、全世界の人類がミキサーに入れられて混ぜくり返された後のような時代にあって今尚、かつてアジアに集中して分布していた人々の特徴を色濃く残す人々ばかりが住み、そして彼らが古来より受け継いできた東アジア語以外殆ど通じないという点と、にも関わらず多くの人々の流入と流出を繰り返すことを要求する中継貿易によって繁栄していること、そのくせ中継貿易に関わって直接非トメニア人と関わるのはごく一部の者に限られるといった点が上げられる。
しかし、普通にここに来てそして去る者、或いはせいぜい数年程度ここに住む者なら気づかないかも知れない皇帝の存在は、初めて知った者に明確な印象を与えずにはおかない最大の特徴なのだ。
そもそも地図もろくに見ないで偶然ここにやって来た彼女達が皇帝の存在を知ったのは、中心街へ向かうトメニア在住の人々の流れによってだった。
人家も人もまばらで道路の舗装も行き届かず、林か草原でしかないトメニアと人類の管理が及ばない大地とを明確な境界を作ることなく分けている辺りに発し、天へと突っ立つ数百メートルから一キロ前後の高さにも及ぶ四角柱のビル街に至るまで、この狭いトメニアのどこにこれだけの人間がいたのかという程の人間の流れがなければ、そして彼らが殆ど例外なくかつてのアジア人的な容姿と一目で解る者達でなければ、彼女達はトメニアで何かが起こっているということ自体気づかないはずだったのだ。
やがて、耳には入ってきてもまるで解らないアジア語に苛立って、適当な一人を捕まえてこの人込みは何なのかを尋ねたのはもちろん依緒奈だ。
彼女に行く手を遮られた二十歳前くらいの青年は、しかし依緒奈が顔立ちからも肌の色からも一目でトメニアの人間ではないと見て取ると、不可解なことに突然慌て出したのだ。
「あのさあ、この人達何なの?どこに何しに行くの?」
依緒奈に限らず彼女達六人が使っているのはノヴゴロド語だ。ノヴゴロド圏と呼ばれるヨーロッパの一地域出身のファイ、依緒奈、なすびはもとより、人類の知識の半分といわれ、当然言語にも堪能な魅紅も、元々各地を放浪していたメイと詩織もこの言葉で話している。そしてノヴゴロド語はヨーロッパ語の部類に入り、ヨーロッパはもとより、ヨーロッパ語が普及している世界の殆どの地域の人間とでも一応の会話はできるのだった。そして、故にノヴゴロド語もある程度トメニアにおいても通じるはずだった。
しかし、依緒奈に話しかけられた青年は、多くのトメニア人がそうであるようにトメニア以外の人間とは殆ど没交渉であるからか、まともに話せもしなかった。
「私、レコード、買いません!」
青年がやっと発したのは標準的なヨーロッパ語だったが、そんな意味だ。
「はあ?」
今のは何だろうかと依緒奈が首を傾げる。
青年はさらに狼狽えて続けた。
「私、レコード、買いません!傷が、あるから」
「.......?」
「私、あなたと、やりたい!ばっこんばっこん!私の、性病も、もう治った!」
依緒奈は一瞬殴り殺してやろうかと思ったが、どうやら彼はヨーロッパ語を意味を間違えて覚えているに過ぎないと気づいて、面白そうに彼の顔をしげしげと見つめた。
「..気が早いなあ。どんな体位がいいのさ?」
「私の、腸には、精子がいっぱい!!」
青年はそう叫んで、手を振りながら人込みの中へ消えて行ってしまった。
「あたし誘われ方間違えたかな〜?」
依緒奈がとぼけた調子でファイの方を振り向くと、彼女は爽やかな笑顔と共に答えた。
「あの鼻、作り物には見えなかったわよ?」
なすび一人が耳まで赤くなって周囲のトメニア人に今の会話が聞こえやしなかったかと周囲を見回していた。
それはさておき、依緒奈となすびはノヴゴロド語以外にアジア語も知ってはいる。ただ学校で習っただけなので、片言というのもどうかという程度だ。自分の名前の由来だという極東群島語に至っては名前以外の文字の読み書きはできない。二人と違って、他の四人は言語に関してはかなり明るい。働かずに生活できる身分の出だったファイも、魅紅やメイ、詩織がそうであるようにアジア語での会話には不自由しなかった。
「皇帝の演説を聞きに行くらしいわよ」
トメニア人達同士の会話から解ったことをファイが言う。依緒奈となすびがトメニアに皇帝がいるということを理解し、そしてそのこと故にトメニアが変だと感じたのはこの時だ。
「何それ?」
依緒奈が忌み嫌うような表情を見せる。
「トメニアには現在も皇帝がいる」
依緒奈の言葉に答えて、しかし彼女の感情には一切の配慮もなく、魅紅が話し出した。
彼女によると、トメニアの皇族は、トメニアに君臨した独裁者が戦死した後に、人々に擁立された一族の子孫だった。最後の世界戦争末期に端を発するといい、現在の皇帝は十二代目だという。独裁者が専制を敷いていたので、初期の皇帝は改革を行った。しかし戦争による人口の激減ゆえに新体制を一から構築することは困難であったため、彼らはかなり緩やかな改革の道を選んだ。そして何代もかかってやっと、皇帝はトメニアの代表ではなく、殆ど名目的な飾りものになったのだ。現在の皇帝は世襲によってその地位が受け継がれ、トメニアの人々によってその生活が保証されるが、その役割はといえばトメニアに定住する人々に選ばれた代表達を任命することくらいであり、しかもそれに対して異議を唱えることもできないのだった。残念ながら、現在において国家というものがそうであるように、君主の存在自体が世界的には時代遅れの存在になってしまっているということは、トメニアの改革のペースが他の地域に比べて余りに遅すぎる事の証明になってしまってもいたのだが。
ともあれ現在のトメニアの人々は、皇帝を有名な文化人−その中でもありがたそうな雰囲気を持つというのが特徴の−の一人くらいにしか思っていなかった。ただその人気の高さは今、間もなく行われる彼の演説を聞こうとトメニアの中心にある広場へと向かう人々の数からも明らかだった。
「あれじゃないかしら?」
周囲の人々を興味深そうに見回していたファイが、ビルの壁に貼られた等身大程もあるポスターに目を留めた。そこには、長身でいかにも聡明そうな三十歳くらいの、もみあげが少々目立つ精悍な顔立ちの男がスーツに身を包んで立っていた。
「この人が皇帝なんだわ」
ファイはいそいそとポスターに近寄ると、記念写真でも撮るときのように写真の皇帝の横に立つ。
「馬っ鹿馬鹿しい。やめときなよ」
「な〜んだ、おじさんなんだ」
依緒奈が憮然と言い、詩織が失望を露わにした。
ファイのことだから、皇帝をせいぜい変わった見せ物の一つくらいにしか考えていないことは依緒奈には解っているが、しかし、血筋ゆえに特別な人間として扱うかのような態度は彼女の機嫌を損ねるには十分だった。
「そいつに人間の知能があるんだったらいつまでも皇帝なんかやってないよ!」
依緒奈はポスターの皇帝に軽蔑の視線を投げかけた。
「何か事情があるのかも」
なすびが弁護するわけではないものの同情を見せる。
「どうして皇帝でいるのか不思議よね」
そう言って皇帝を見つめるファイの瞳には、何かの期待を抱いた輝きが見て取れた。
間もなく、放射状に真っ直ぐ伸びた大通りが全て集まるトメニア中心の広場を埋め尽くす人だかりに混じって、彼女達六人の姿があった。集まった殆どの人々はトメニア人で、中には彼女達のように外部から訪れた者達が僅かに混じっている。
ビル街の中心にぽっかりと穴が空いたように見えるこの広場では、ごった返す人込みの中、人や車の通り道を最低限確保しようと、交通整理業者が笛を吹いたりスピーカーで呼びかけたり、簡単な柵を並べたり、ロープを張ったりしている。広場の中心には周囲とは明らかに場違いな石造りの城か櫓のような三階立てくらいのちょっとした建造物があり、その中段には紅色のカーテンによって建物の内部と隔てられた舞台が設けられていて、ここが皇帝の演説の場所だった。様々なイベントに用いられるこの建物は、はるか昔にヨーロッパにあったものを三世紀以上前にここに移築したものだ。
この建物を要として扇のように集まっている群衆を、灰色のお仕着せの服に身を包んだ警官が二,三十メートル置きに配置されて守っている。
時間が迫り、人々の動きもほぼおさまったとき、壇上に一人の二十代くらいの女性が現れた。
「ようこそお越し下さいました。そろそろ時間ですので始めさせていただきます」
何人かが彼女に応えて拍手をしたり声を上げる。
「では、トメニア共和圏第十二代皇帝、アイホック氏をお迎えしましょう!どうぞ!!」
女性がそう言って舞台の端に消えると、反対側から、スーツに身を包んだあの写真の男が現れた。
写真同様、利発そうな男で、いわゆる二枚目の典型ではないが涼しげな眼差しの持ち主だ。
一斉に割れんばかりの拍手が巻き起こる。ファイ達六人を含む圏外人は例外としても、殆どのトメニアの人々は大喜びで手を叩き、中には口笛を鳴らす者、彼の服のセンスの良さや、顔立ちの上品さを親しい者同士褒める者もいた。
「すごい人気だね」
なすびが驚いて周りを見回す。
「何言うんだか聞かせてもらおうじゃない」
依緒奈が挑戦的な笑みを浮かべ、腰に手を当てて壇上の男を見守る。
「ようこそ皆さん、どうも、やあどうもありがとう。アイホックです。今日もこんなに大勢の皆さんに集まってもらって光栄です」
皇帝の話の前置きが続く中、舞台の裏では苦虫を噛み潰したような顔の幾人かがいた。
「...困ったものですな」
そう言うのは、せいぜい初老程度の年齢とは裏腹に髪は真っ白だが、がっしりした体つきの紳士だ。
彼がトメニアの代表の一人であるレイソンという男で、宰相を務めていた。
「全くです。愚民共は陛下をまるでスターか何かのように....おそれ多いにも程がある!」
傍らにいる、髭面の、長身でごつごつしたいかにも屈強そうな中年男が言い捨てた。彼はセンデンといい、副宰相だ。
「例の準備の方は、大丈夫なんでしょうな?」
そう言って彼が隣の女を見る。
「ええ。用意は終わってます」
答えた彼女はマリアナという名の治安委員長で、腰に届く程長い髪を持つ美しい女性だった。
「陛下ともあろう方がなぜあのようなことをなさるのか....ああ嘆かわしい....。もう始めたらどうです、これ以上見ていられない!」
じれてマリアナを促すレイソン。
「いずれは気づいて下さいます....。まだ早すぎます。始まったばかりじゃいくらなんでもわざとらしいでしょう?」
彼らトメニアの代表達は、皇帝の有名無実化に反対なのだ。どうしても、皇帝には雲の上の人でいてもらいたがっていた。今回のように人々が皇帝から直接メッセージを受けることなど、天上の神であるべき皇帝を余りに軽んじすぎる行いだと思っていたのだ。
「そろそろいいですか?もう少し、待ちましょうか?いいですか。じゃあ始めましょう。」
壇上から人々の様子を見ていたアイホックが話を始めた。
「えー、皆さんご存じのように、全ての人々は、老若男女を問わず、平等です。」
アイホックがそう切り出した途端、聴衆達がまた拍手を始めた。
聞いていた依緒奈が意外そうにアイホックを見遣る。
「またこれだ...」
舞台裏ではレイソンが渋い顔をしていた。
「現状は、肯定されてよいものであろう筈がありません。トメニアの全ての人々は平等である、しかし皇族はまた別である、これを平等と言えるでしょうか?とんでもありません。私のような特権階級など、存在してはならないのです。」
アイホックの話が続く。
「そろそろ...」
「ええ」
レイソンがマリアナに目配せすると、彼女は携帯用の通信機に囁いた。
「独立第3?ええ。私よ。始めなさい。」
「私はこれまでの2世紀にわたって続けられてきた改革を継続します。しかし、それを少し早めようと思っています。私の在位中に、トメニアにおいて君主制は..」
その時、民衆の一角がどよめき、蜘蛛の子を散らすように慌てふためいて逃げ出し始めた。見ると紺色の服に身を包んだ百人近い一団が、背丈よりも長い鉄の棒を振り回し、発煙弾を投げつけながら広場に乱入してきている。
「勤皇隊か!今度はこんな時に出るとは!」
アイホックが一団を睨みつけた。
彼らは皆、軍隊のような帽子と、ゴーグルかヘルメットかといった感じののっぺりした丸い仮面をかぶり、素顔も解らない者達だった。突然の出来事に人々は咳き込み、目をしばたたかせながら逃げまどうばかりだ。既に逃げ遅れた者が何十人も、棒で殴りつけられ、蹴飛ばされて次々に地面に転がった。
「我々は勤皇隊である。危険な思想を抱く愚民共よ、何をしているのか!懼れ多くも陛下の御前で腰を屈めもせず御尊顔をその汚れた眼で見ようなどとは不敬な!!トメニアの民としてあるまじき行いだ恥を知れ!!その血と命で償うがいい!!」
紺ずくめの一団の一人が拡声器でがなり立てた。血で濡れた襤褸布のようになった中年女性が彼の足の下に踏みつけられている。
「陛下危険です!中止なさって下さい。早く中へ!」
レイソンが舞台に走り出て叫んだ。
「陛下などと呼ぶな耳が腐る!!私の話はまだ終わってはいない!!」
アイホックが激しい口調で怒鳴り返す。
「しかしあなた様にもしものことがあっては」
レイソンがマリアナに目配せし、彼女は護衛の警官にアイホックを避難させようとする。
「寄るな!言論の力は暴力には屈しない!私は話を続けるぞ」
警官を一喝するアイホック。
「御主人様!今は避難して下さい」
その時、アイホックの側に人影が突然現れた。十代半ばの少年だ。
肩に掛かりそうなくらいの長さのさらりとした髪の、育ちの良さそうな顔立ちの美少年だった。
「リュートマ、君まで何を言う!」
「このままでは掛け替えのない人達が危険にさらされます」
彼が真剣な眼差しで訴える。
「....解った、続きは次の機会にとっておこう。マリアナ、警官の護衛は無用だ。彼が私を守ってくれる。それよりあの暴徒共を鎮圧したまえ...。残念だ」
「やらせています!」
アイホックは広場を不安げに一瞥すると、リュートマという少年に導かれて舞台を後にした。

マリアナの言う通り、警官達は紺ずくめの集団と戦っていた。しかし警棒もスタンガンも彼らにはまるで効き目がないのだ。
加えて集まった聴衆の数があまりに多すぎ、避難誘導も混乱を極めている。目の前で警官の一人が棒で頭をかち割られ、頭蓋の半分をそぎ落とされて倒れるに及んで指揮官が決断を下した。
「銃を使う!但し...狙うのは手足だけだ」
顔に飛び散った仲間の脳のかけらを拭いながら彼も銃を手に取った。
「すぐにやめないと撃つぞ!」
そう叫んだが、紺色の集団はまるで無視して暴れ続けている。
そして、銃声が乾いた空に幾度も響いた。
「何だ、それは?」
紺ずくめの一人が言った。足元に銃弾が転がっていた。
衝撃も電気も通さない彼らの服には銃も効かず、警官達に為す術はない。
そして、指揮官も程なく地面に横たわる血塗れの死体の一つになっていた。
「う〜ん、面倒だなあ...」
依緒奈は見るからにおっくうそうに、たまたま腿につけていたブレスレットにマイクのついた小さなヘッドホンをつなぐと、ヘッドホンをつけた。
ブレスレットとは言っても、彼女達の誰一人として腕につけてはいないし、誰かが身につけていること自体滅多にないそれは魅紅が作ったもので、腕時計のような形をしている。様々な機能を持っているが、その一つに言語の翻訳というものがあった。それによって、依緒奈の声は彼女の声のままアジア語に翻訳されるのだ。そして、紺ずくめの男の声は彼の声のままノヴゴロド語に訳されて彼女の耳に入る仕組みだ。
「こんどはどうしようもない気違いが来ちゃったよ..」
人々が逃げて行く中、がなり立てながら暴れる紺色の集団を見回して依緒奈がうんざりした様子で呟く。
「あたし達も逃げた方が...」
なすびは言葉は解らないが周囲をきょろきょろと見回して不安げにファイの陰に隠れていた。
「何が始まったのかしら」
しかしファイの耳になすびの言葉が入っている様子はない。
「あんた達、急いで!」
退いてきた、というより逃げてきた警官が彼女達に声をかけた。
仲間から飛び散ったものと自分の怪我で、顔も服も血で染まっている。
「どうして?」
意外そうな瞳を向けるファイ。
「見ただろう、あいつらは男も女も容赦しないんだ、それに圏外人にはもっとだ、ここにいちゃ危ない!」
慣れていると見えて流暢なヨーロッパ語だ。
「大丈夫よ?」
勿論ファイは彼がなぜ慌てているのか解っていない。むしろ、この状況に身を置かないことがいかにも勿体ないといった様子だ。
「そんなこと言って、知らないぞ!」
彼女達にかまうどころではなく逃げ出す警官。
「不敬な外人共!正義の制裁を加えてやる!」
その時、紺色の集団がファイの目の前まで迫っていた。
「ね、もう一度、言ってくんない?」
ファイの前に割って入る依緒奈。その声もアジア語になっていた。
「なっ、何度でも、言ってやる。尊き皇帝陛下への敬意を見せぬ貴様らには正義の制裁を加えるのだ!」
明らかに上擦った声だった。彼女達は皆十二、三才の少女揃いなのだから、子供にはない色香を持ち合わせている。それもいずれ劣らない愛らしい少女達ばかりだ。そして彼女達の少女期特有の潤いのあるいくつもの瞳が彼を見ているのだから、心の平静を保つのは不可能だった。
ノヴゴロド語になった彼の言葉を聞いた依緒奈は自信ありげな笑みを浮かべて言い返す。
「ふ〜ん....今謝ってとっとと帰ったら、許してあげなくもないけど、どうする?」
その言葉は、彼に先程までの鋭気と怒りを取り戻させるのは充分すぎた。そして、鉄の棒が依緒奈めがけて振り下ろされた。
だが棒は鈍い音と共に地面を穿っただけだ。依緒奈は何事もなかったように一歩ばかり横に立っている。彼女の足をもってすれば容易いことだ。
「そういうこと..」
地を蹴って宙に浮いた依緒奈の両足が男の頭を襲う。一方はかかとで左からこめかみを、もう一方は甲で右から顎だ。男の首は一瞬で九十度程ひん曲げられた。頸骨がぶつかる鈍い音と共に、動きを止めて倒れる男の体。彼の首の中では脊髄が千切られていた。

依緒奈の足は速く動くが脚力の方はさほど人間離れしていない。単に一度や二度蹴るだけなら通じなかったはずだが、彼らの服が関節を支える構造でない以上これではひとたまりもない。
依緒奈は後に続く数人の胸板に、次々に跳び蹴りを叩き込む。一度蹴っただけに見えて数百回同じ所を蹴っているのだ。彼女の周りに肋骨を砕かれ、肺を破られた者達が転がる。
「きゃああああああ!!!」
一方ではなすびが悲鳴を上げて腕を振り回しながら走り回っていた。男達が彼女を取り囲んで袋叩きにしているのだ。だが、その叫びとは裏腹に闘いは一方的だった。鉄の棒程度がなすびに効果があるわけもなく、盲滅法に振り回される彼女の手に直撃された彼らは、次々に血飛沫と内臓の尾を引いて花火のように空へと舞い上がった。
その時、彼女達の周りに白い煙が上がった。発煙弾だ。
「毒ガス?」
ファイが尋ねると、傍らにいた魅紅が一瞬眼鏡を外して煙を見つめ、その分子構造を見て取ると再び眼鏡を掛け直して言った。
「いや、あれは単なる煙幕。それに化学兵器なら彼らも対策を講じてくるはず」
彼女の言葉が終わるか終わらないかのうちに、その臭気を感じ取っていたメイが煙の方向に狙いを定めると一気に息を吐き出す。それは丁度紺色の集団が押し寄せて来ている方角だ。数十人が一瞬で全身を砕かれ、しぼんだ風船のような様で宙へと舞い、巻き添えを食って上半分程を引きちぎられた幾棟かのビルともども遠くへと消えてゆく。

「おいたしちゃだめだよお」
なんでもなさげな彼女の一言に戦慄する紺色の集団。半分ばかり残っていた彼らはすっかり怖じ気づき、倒れている仲間を見捨てて我先にと逃げ散って行った。
「何と...!見たかリュートマ」
壇上では、避難しようとした矢先にこの様子を目の当たりにしたアイホックが感嘆している。
「...はい」
リュートマも驚きの余りそれ以上の言葉が出てこない。
レイソン達も震える足でその場から離れると、慌てた様子でひそひそと話し始めた。
「....彼女達は、陛下の食客でしょうか!?」
センデンが囁く。
「いえ、陛下もご存じないようです。それにしても..」
不安げにマリアナに視線を向けるレイソン。
「...想定外でした。大変な犠牲が...」
歯噛みするマリアナ。
「もう少し聞きたかったなあ、あいつの話」
倒れ伏した死傷者以外に六人だけを残してがらんとしている広場では、依緒奈がもう誰もいない壇上を振り返っていた。
「あの、あなた達...一緒に来てもらえませんか...?」
いつの間に現れたのか彼女達に声をかけたのは、アイホックに付き従っていたリュートマだ。
「ぼっ、僕たちの主人が、トメニア皇帝、アイホックが、会いたいと言ってます」
彼も六人の美少女達にすっかり狼狽してしまっているが、どうにか役割を果たした。
今までただいるだけで周囲に何の関心も示さなかった詩織が彼を見つめて舌なめずりする。
「そうなの..いいわよ」
笑顔で応えるファイ。
「ふふ...面白いことになりそうじゃない」
そう言って依緒奈も同調した。
「...聞いてる?」
リュートマを見るファイが少し困ったように微笑む。
しかし彼はそれどころではなく、その時既に詩織に押し倒されて唇を奪われた上に舌を突き入れられ、年の割には少々大きい、先端が幾分尖った球形を成す柔らかな胸の膨らみと、この年頃の少女に特有の、女性らしさを僅かに帯び始めていながらも小さく幼い腰をぐいぐいと幾度も押しつけられて、すっかりのぼせてしまっていた。

−続く−